
Myanmar
前編 軍事政権時代、未踏の地へ
ワンダーランド、秘境国ミャンマー

Story 1
三人旅の起源
カフェで働く、というのにあこがれてた。
あの黒いサロンを巻いてみたかった。
学生だったころ、旅に出る資金を集めるためにせっせとアルバイトをした。
いろんなアルバイトをしたけれど、あこがれのカフェは時給が安かったり、
休めなさそうなところが多かったから、いったんあきらめて、
近所の居酒屋や回転寿し屋やそこで仲良くなった高校生の
家庭教師をしたりして、旅の資金を貯めていた。
でも、何かの拍子で良さそうなカフェバイトを見つけた。
場所は神戸の旧居留地という、ミーハーな私にはたまらなく
ハイソな雰囲気漂うエリア。
「イギリス人でバイオリニストの女の子のバリ島の別荘」という
架空のストーリーに基づいて、細かなところまで
丁寧につくりあげられたお店だった。
そのカフェのキッチンで、私は大学を卒業するまでの2年間、働いた。
偶然にも旅をする女の子がほかにも数人働いていて、
かわりばんこに旅に出ることで、シフトもどうにかなっていた。
そこで出会ったのが、しげちゃんとりんりん。
りんりんは、私がアルバイト初日に仕事を教えてくれた人。
ここの冷蔵庫にはこれが入ってて、あっちには・・・って
教えてくれているうちに、だんだん口調が変になってきて、
どうしたんですか?って聞いたら、
「はっ!ごめん、ビートたけしのものまねになってた!このやろっ」
これが、一瞬でこの人とは仲良くなれそうだと思った出会いのエピソード。
音楽と魚を愛していて、「棺桶にはハマチを入れてほしい」といったりする、
愉快で陽気な女の子。
しげちゃんは、フランスでパティシエをしていたこともある、
旅と山と鳥好きの女の子。
お父さんはエベレストの北壁ルートの初登頂者で、
登頂した年に生まれたしげちゃんの名前には、こっそり「エベレスト」が入ってる。
あの頃は、しげちゃんは山、私は砂漠を求めて世界を旅していて、
休憩の合間にお互いの旅の話をよくしてた。
しげちゃんはタブラ(インドの太鼓)を叩けるので、
私のジャンベ(アフリカの太鼓)とセッションして、
しげちゃんのお父さんに見てもらったりもした。
興味の幅がほんとに広いしげちゃんだけど、1番好きなのは「小鳥」。
鳥について語るとき、彼女は天使のまなざしになる。
そんな2人とは、アルバイトをやめてからも仲良くしていて、
山の中でのフェスや無人島でのキャンプや川下りなどなど、
「ちょっと変わった遊び」をテーマに遊んでる。
チーム名は、ヒトットリー。
それぞれが好きなもの、「魚」「鳥」「人」を組み合わせてつくったチーム名。
そのヒトットリーで、海外に行くことになった。
どこに行こう?
ホリデー「ミャンマー気になるなぁ」
しげちゃん「あ、行ったことない!」
りんりん「ほなミャンマーで」
あっさり決まった。
りんりんは初めての海外だったから、
パスポートを取ることからのスタート。
それからビザを事前に郵送で取得して、
2010年から2011年の年越しを、3人でミャンマーで迎えるために旅に出た。
Story 2
第一関門

ミャンマーってどんな国なんだろう、
飛行機の中、話をした。この時はまだ軍事政権だったミャンマー。
そうやね、
きっと、人は優しいかな。
黄金の仏教寺院、赤茶色の風景、ランボーに出てきたゲリラのイメージ、
ビール冷えてなさそう、意外と近代的だったりして、
暑そう、ほこりっぽそう、みんなサンダル履いてそう。
それぞれのいろんなミャンマーを思い浮かべてた。
でも曖昧なベールに包まれたよな想像しかできなくて、
結局のところミャンマーってどんな国なのか
分かんないねって笑ってた。
飛行機はシンガポールを経由して、ミャンマーのヤンゴンに到着。
ヤンゴンは2006年までミャンマーの首都だった最大の都市。
首都がなにやらネーピードーという、
なんにもない場所に突然遷ったらしい、というニュースに、
「首都って変わったりするのか!」って思った記憶が
かすかにある。
遷都の理由は占星術で決めたとか、軍事的な戦略だとか、
いろんな憶測があって、正しいことはわからない。
シンプルなヤンゴンの空港からタクシーに乗って町に向かう。
空港からの道のりはいつもワクワク、新しい気持ちになる。
窓から入ってくる風が気持ちよかった。
アスファルトで舗装された道はとても快適で、
日本で役目を終えて届けられたと思われる、温泉地のバスや
兵庫県の市バスがたくさん走っていた。
ミャンマーを走る90%以上のバスや車は日本製らしい。
異国に来たのに「オレンジフェリー」と書かれたバスなんかが
ふつうに市民生活に溶け込んでるのをみると、日本とのつながりを
感じてほっこりする。
タクシーの運転手さんがダッシュボードから出してきた古い写真、
日本人の女の子の写真を大切そうに見せてくれた。
ボランティアできていた女の子なんだって。
ミャンマーの家庭でしあわせそうに笑ってた。
ミャンマーでの第一関門、それは避けて通れない「両替」。
私たちが訪問した2010年時点では、この国のレートはめちゃくちゃだった。
政府が認めている「公式レート」が1ドル=6.5チャットに固定されているのに対して、
実際、一般の人が通常の生活で使っている「実勢レート」は、
1ドル=約800チャット前後。
その差、なんと123倍!
万が一、公式レートで両替なんてしようものなら!
ミネラルウォーターが300チャット=46ドル!になってしまう。
公式レートで計算されてしまう銀行では両替できない。
だから旅行者は、俗にいう「闇両替」をしないことには
世界一物価の高い国を旅することになってしまう。
さらに不可解なことに、100ドル札と、50ドル札の価値が違う。
高額紙幣のほうがレートが良い。
「闇両替」なんて言ってしまうと、とんでもなく恐ろしく感じるけれど、
単純に一般市民に両替をしてもらう、ということ。
町を歩いていると声がかかる。
ホテルのフロントに両替を頼んだ時も、どこからか誰かがやってきて、
少しその場を離れてチャットを持って来てくれた。
「ちょっと市場で替えてくるね」って。
なぜこんなことになっているのか意味が分からなかったけど、
現地の人も慣れているらしく、ふつうになんとかなった。
(2012年4月に無意味な公式レートは廃止されて、
今は実勢レートに統一されたそう。
闇両替をしなくってももう大丈夫みたい。)
日本から予約しておいた今晩泊まる宿のバルコニーから、
町を見渡した。
ヤンゴンの町は古くてずっしりとした背の高い建物が多い。
イギリス統治時代のなごりかな。
なんとなく香辛料のにおいが漂ってきた。
両替の関門に驚きはしたけれど、
ホテルのフロントのおねえさんや、タクシーの運転手さん、
両替をしてくれた人たちの柔らかい物腰と、かわいらしい笑顔に、
この国はかなりいい国だという予感がしてた。
Story 3
タナカと遭遇

朝は4時半に起床、ヤンゴンよりも西にあるバガンという町に
向かうことにしていた。
まだまだあたりは暗いのに、ランニングやウォーキングをしている人が
異常に多かった。それもなぜか車道を。
まっ赤に染まる朝焼けを見ながらプロペラ機に乗り込んだ。
眼下に広がる山、川、ジャングル。
ゴツゴツした緑の大地。どんな人たちが暮らしてるんだろ、
小説「ビルマの竪琴」に出て来たような人食い人種や、
ゲリラがいるんだろうか。
ミャンマーは、すべての国土を旅行できる国じゃない。
外国人が自由に旅行できる「ホワイトエリア」をのぞいては、
入るのに許可が必要だったり、指定された交通機関でしか入れない
「ブラウンエリア」や、反政府ゲリラが活動しているような場所は、
立ち入り禁止の「ブラックエリア」が広がっている。
辺境、秘境、なんとも謎めいた国。
ちなみにバガンはホワイトエリア。
飛行機は1時間半のフライトのち、バガンに到着。
空、広い!澄んでて青い!
馬車が走る並木道を抜けて、ひとまず宿を探す。
少し町外れだけどとてもきれいでプールまでついてて、
1人1泊9ドルのホテルを発見。
少し休んで、自転車を借りて近くのニャンウー村に出かけた。
ちょっとタイヤの空気が抜けていて、坂道が大変だったけど、
村人や屋台の姿が見えてきて、私たちはついに遭遇した。
タナカに。
「見た?」
「うん!ほんまにみんなタナカしてる!」
女の人と子どもたちの多くがタナカをしてた。思わずにやり。
タナカとは、ミャンマー独特のお化粧。
木の幹をすりおろした粉をほっぺや鼻に塗る。
美肌効果と清涼感がある日焼け止め作用もあるという。
何がおもしろいって、タナカ、という馴染みのある名前だけじゃなくて
めちゃくちゃ塗ってます感が出る、ということ。
塗りたくってる子どもは、白いお面をかぶっているみたいになってるし、
きれいな顔立ちの女の人の顔にも、あたりまえにタナカが浮き上がってる。
むしろ、この塗り方で美人度が変わるそう。
スーパー異文化、ワンダーランド。
それともうひとつ、地元の人たちのほとんどが
老若男女問わず身につけている伝統衣装、
巻きスカートのロンジーも独特な文化。
男の人は前で結んで、女の人は横であわせて、
家でも学校でも会社でも結婚式でも、ロンジーを着る。
1年中高温多湿のミャンマーで暮らすには、とても涼しくて
過ごしやすい服なんだろうな。
立ち寄った市場でロンジーの仕立て屋さんがあったから、
仕立ててもらうことにした。
たくさんの色や刺繍がほどこされた布のなかから気に入ったのを
探すのは、ほんとに大変。
男の人用はチェックで地味な色が多いけど、
それに比べるとなんと種類の多いこと。
ミャンマーには8つの部族、135の民族が存在するそうだけれど、
民族によっても色使いや模様が異なっているという。
「日本で着れそうなのはどれかなー」
「日本で着るかなー?」
あれこれ選んで、可愛らしい刺繍が散りばめられた布を選んだ。
「せっかくやし」という女子的な発想で、
色違いのお揃い3枚。
おばちゃんにミシンでガガーっと布の端と端を縫い付けてもらって、
筒状になったらロンジーの出来上がり。
仕立て代込みで、約1500円、このロンジーがミャンマー旅行中
とっても重宝した。
やっぱりその土地に根付いている民族衣装は、
その地の気候にもっとも適している。
ロンジーをはいていることで、地元の人たちもより親しみをもって
接してくれた。
「あらあら、ゆるんできてるよ。しっかり巻かなきゃ!」って、
巻きなおしてくれるおばちゃんがいたり。
日本からそう遠くはない東南アジアのミャンマー。
今までまったく知らなかった新しい世界に3人は、
たぶん似たような気持ちでワクワクしてた。
Story 4
信仰の国

広大な大地に、11世紀から13世紀にかけて建設されたパゴダ(仏塔や寺院のこと)が点在しているバガンは、仏教国ミャンマーの聖地。
世界三大仏教遺跡のひとつ。
(あとの2つは、カンボジアのアンコールワットと、
インドネシアのボロブドゥール)
夕方になって、馬車に乗って夕日を見に行くことにした。
着いたのは、ブッダの遺髪が納められているとされる仏塔、
シュエサンドー・パゴダ。
急な階段を上って、1番上まで登って後ろを振り返ったとき、
言葉を失った。言葉にならなかった。
濃い緑の樹々の合間に存在する、重厚な幾千ものパゴダ。
見渡す限り、どこまでも続く雄大な光景、
地球上とは思えない別世界が目の前に広がっていた。
地上から立ち上るパワーがすべてを包み込んでいるように見えて、
夢中で写真を撮ったけど、ちっとも見た通りには撮れなかった。
もどかしい気がしたけれど、
これは自分の目で見るしか方法はないな、
そういうことなんやなって思って、
カメラのファインダーではなく、目の前の世界の
できるだけ多くを見ることに集中した。
遠くのなだらかな山の向こうに夕日が沈もうとしていた。
大地の上の透明な空気は、刻々と淡い水色とオレンジ色に変化して、
やがて空にとけていった。
「ミャンマー人の信仰心が、ばーっと広がっているように見える」と、
しげちゃんは言った。
ミャンマー人の約9割は上座部仏教を信じている。
バガンのパゴダは単なる過去の遺跡ではなく、
今も地元の人たちが毎日お参りをし、大切に守っている祈りの場所。
上座部仏教は、日本に伝わる大乗仏教のように、
大衆の救済を重視するのではなく、個人の悟りに重きを置く。
「今は長い輪廻転生の通過点にしか過ぎない」という来世思想に基づき、
日々、徳を積むことで解脱を目指す。
他人に親切にするという行為は、徳を積むことのひとつだというから、
穏やかで親切な国民性には、信仰の心も大きく結びついているんだと思う。
ふつうでは考えられないような誠実な親切を、私たちはこの旅で
何度も受けた。
道で少しでも立ち止まっていたら、 いろんな人たちが声をかけてくれて、
良い方向へとかならず導いてくれた。
また、寺院への寄付や仏塔の建設も、大きな徳だと考えられている。
だからミャンマーの人々は、財産のほとんどを寄付に回すのだと聞いた。
例えば、ヤンゴンにある金ぴかの寺院、シュエダゴンパゴダに
使われている10トンにもなる金と、埋め込まれている2000カラットを
越えるダイヤモンドはすべて国民による寄付だという。
ミャンマーはアジアでも最貧国のひとつ、
人々に金銭的な余裕はないはずなのに、現世の今の富よりも、
祈りと来世の幸福のためにお金を使う。
私は財産を来世につぎこむことなんて絶対にできない、
来世よりも断然現世に興味がある。
理解するのは難しいけれど、その厚い信仰心には圧倒されて頭が下がった。
ここにある3000を越えるパゴダも寄付で守られ、大切にされているんだ。
尊重すべき生き方だと思った。
夕日が落ちて、あたりがだんだん暗くなってきたので、
パゴダを降りて馬車に乗った。
いつもなら3人であれやこれやと話すのだけど、
この時はいつになく静かだった。
平野を走り抜ける馬車の上から、空を見てた。
だんだん色がなくなって、あたりがモノクロの世界になって、
星が光りはじめるこの時間がいつも私は愛おしい。
知らなかった土地で、知らなかった誰かの乗り物に乗って、
知らない道をゆく時。
少し不安もあるけれど、
旅に身を置いているって実感がこみあげる瞬間。
今まで旅した土地の、さまざまな情景が駆け巡った。
この日見た景色の荘厳さは私が今までみてきた「すごいもの」
の歴史を塗り替えるほどのものだった。
五感のすべてが「これはすごいすごいぞ」とざわめいて、
体の奥の心の中まで染み込む景色と夕日だった。
そして今回は。
この簡単には得難い感動の時間を3人でそのまま分かち合えた、
そのことが、私のしあわせを3倍にしてくれた。
Story 5
旅の呼吸

今までだいたい、1人旅をしてきたけれど、
ときどき、身近な人とも旅に出る。
ここ数年は、ヒトットリーの3人旅がおもしろくって、
時間を見つけて旅に出ている。
1人旅と3人旅は、比べようもないほどに本当に違う。
3人で旅をしていておもしろいのは、見える世界があと2つ、
増えるってこと。
同じものを見てたって、注目ポイントは人それぞれ違うから、
1人では気づけなかったようなことも見えてくる。
1人旅は、1人でいるときにしか気づけないことが中心になる。
どっちがいいも悪いもない。どっちも、いい。
ただ、誰と行くか、というのはすごく重要、
あまりに価値観がかけはなれていると、旅以外のところで
気を遣ってしまうことになりかねない。
その点では、ヒトットリーの3人はバランスがとれていて、
いつもゆったりごきげんな楽しいペースで旅することができる。
少しずつ年上のしげちゃんとりんりんは、個性ある魅力が光る女の子。
この2人に共通しているところが、「1人遊びの達人」だということ。
友達が少ないわけじゃない、むしろ多いくらいだと思うけれど、
1人でいろんなとこに行ったり、遊んだりしてる。
1人登山、フェス、夜景、居酒屋・・・などなど。
1人遊びの達人が集まった時に生まれる空気が、
すごくすごく、おもしろかった。
今、りんりんはメーカーのOLで、
しげちゃんは聾唖学校で管理栄養士の仕事をしている。
りんりんにとっては、初めての海外旅行。
ミャンマーというマイナーな国が初海外ということに、
ひとつも異論や不安を口にしなかった。
りんりんとはよくフェスや音楽のライブに行くけれど、
彼女の陽気さと、誰に対しても分け隔てのない優しさに
いつも驚かされる。
盛り上がり番長とも言えるりんりんのおかげで、
私は「たぶんこのライブ会場で1番楽しんでる!」って思う。
周りの人をおもわず笑顔にする力のある人、見ず知らずの隣の人ですら。
りんりんの魅力はミャンマーの人たちにもどんどん伝わって、
ぜんぜん言葉通じないのに、独特の明るい振る舞いで爆笑を誘っていた。
「いやぁ、すごいわその順応性」しげちゃんとちょっと感動してた。
しげちゃんは、登山家のお父さんの影響もあって、よく山に登ってる。
雪山でテントを張って、火をおこしてパスタを作った話とか、
神隠しの話を私はいつも興味津々で聞いている。
私がまだ旅したことのないアフリカ南部の国々や、
インドの南のほうを旅した時の話もおもしろい。
家で放し飼いで飼っていた、大事に大事にしていた文鳥が死んじゃったから、
四国のお遍路に行っていたこともあった。
絵も書くし、木も掘るし、刺繍もするし、ピアノも太鼓もカリンバも奏でる。
お菓子作りや料理の腕もプロ。
しげちゃんの多趣味さの真髄は、誰にも負けないピュアな好奇心。
何かに興味を持ったら一直線に、中途半端じゃないレベルまで極めるのがすごい。
でも飽きっぽいとこがあったり、
「有名」という言葉に弱いところがまたすてき。
いつも温和な笑顔のしげちゃん、
私はいつも頼りにしていて話を聞いてもらっている。
この2人との旅。
ミャンマーという国の魅力自体ももちろんだけど、
例えばヒトットリー恒例の「ベッドじゃんけん」なんかもすごくおもしろかった。
エキストラベッドで寝る人を決めるじゃんけん。
ローテーションではなく、毎回真剣勝負のち、
私はいつも勝って、しげちゃんはほとんど負けて、失望のあまり
床に崩れ落ちていた。
いずれ水になるシャワーの順番のじゃんけんには勝てなかったけど、
ベッドじゃんけんだけは負けなかったなぁ。
こんなことはほんとに他愛もないことだけど、
1人旅では作れない旅の思い出、陽気な、記憶。
