
Cambodia
寄り道カンボジア
Story 1
赤土のお出迎え
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乾燥した空気のなか、赤土の道を。
小型のちょっと不安げなバスは、多国籍の旅人を乗せて
カンボジアのシェムリアップという町を目指して
煙を撒き上げながら走り続けた。
たっぷり時間だけはあったから、なんとなく窮屈な車内に
補助シートまで埋まっている人たちがどんな旅人なのかが
見えてきた。
前に座ってた欧米人カップルは、
Hit my ass!(お尻蹴って!)って、蹴りあってた。
薄っぺらいシートだったから、わかるわかる。
モヒカン頭の一見怖い感じの兄ちゃんは、バスの窓にへばりついてくる
物売りのおばちゃんや子どもたちに「僕はミゲールです」とか
ちゃんと受け答えして、タバコの灰ひとつ落とさないように気をつける
とりあえずめっちゃ優しい人だった。
クリストフというハンガリー人のイケメンは、1人でカメラに向かって
「今日の晩ご飯はー・・・」って話してたし、
前の席の熟年カップルはチューしてて熱かった。
気がつけば日が傾き始めてた。
午前中にはタイ側の国境の町、アランヤプラテートを出て、
その場でほかのバックパッカーの長蛇の列にならんでビザ取得して、
カンボジアに入国はしてたけど。
なかなかシェムリアップ行きのバスが出なくて、
やっときたと思ったら、それは日本製のおんぼろ小型送迎バンだった。
東南アジアのいくつかの国では、ときどき日本の田舎で使われてたような
温泉地や病院の送迎バスが、標語もそのままに使われてる風景を目にする。
日本語を消すこともせず、かすれてはいても、しっかり読める日本の文字で、
「出口」とか書かれていたりするのを見ると、
この国と日本がつながってることが見えてちょっとうれしくなる。
日本語を残すことで「これは本物の日本製の車!」ってアピールしてるんだって。
こないだはビルマで兵庫県の市バスをたくさん見た。
バスは夕日のタイミングに合わせるかのよに、休憩をとった。
30分くらいの休憩のあいま、私はハンモックに揺られたり、
あと4時間と聞かされた、これからの長い道のりを思って、
夜に知らない土地につくことがちょっと不安だったりもした。
今日はどこに泊まることになるんやろうなぁーって。
夕日があたりをオレンジ色に照らし始めて、少し赤土の道を散歩してみた。
過ぎ去ってく車の跡、赤土がもうもうと空中を舞う幻想的な景色のなか、
自転車に乗って男の子と女の子がどこからかやってきた。
たぶん兄妹だったのかな、見慣れない旅人をみて、人懐っこく近くにやってきた。
言葉なんてひとつも分かんなかったけど、大きな笑顔をこっちに向けて、
少しの時間だったけど、追いかけっこしたり、
日記帳に日本語を書いて見せたりして遊んだ。
お兄ちゃんは、しきりに私のペンで何かを書きたがっていたけど、
もうバスの出発時刻が迫っていたから、
「じゃあそれ、プレゼント!しっかりそれで勉強しーや」
って。日本語で伝えて、さよなら言った。
兄妹はまた自転車に乗って、赤土の煙の向こうに笑いながら帰ってった。
もうすっかりくたびれた各国からの旅人たちを乗せたバスが、
シェムリアップについたのは、それから5時間後。
宿の明かりがぽつぽつと、でも確かに見えて来た頃、
すっかり仲間意識が芽生え始めて来た各地から一つの場所を目指してやってきた
乗客たちから、安堵と歓喜の声があがって、
達成感に満ちたような雰囲気がおもしろかった。
Story 2
アンコール遺跡の町

夜中にバスが連れて行ってくれた1泊3ドルの安宿はなかなか快適なところだった。
そして安宿はほとんどの場合、そこで働いている現地の人のキャラが濃い。
そこには宿泊客と接待役といったような感じじゃなくって、
「どんな感じ?大丈夫?ちょっとそのガイドブック見せてー」と、
アットホームな雰囲気がある。(過剰だとちょっとしんどい時もあるけれど)
いつの間にかどんどんホテルの人以外の現地の人も集まって、
日本語のガイドブックを興味深そうに見て、自分の町を見つけて
「ここ、すぐそこ!」
みたいに盛り上がることがよくあって、おもしろい。
「あ、この写真の人、親戚や!」とかなったりもする。
シェムリアップにやってきたのは、世界三大仏教遺跡で有名な
アンコールワットに行ってみようと思ったから。
アンコールワットは、もともとヒンドゥー教の寺院として建てられて、
後世で仏教寺院として改修されたという。
だからヒンドゥー教の神様、ヴィシュヌ神と、仏像が共存している
不思議な場所が、なんとなく気になった。
そして、アンコールワットに行きたいことを宿の人に伝えたら、
広大なエリアを回るには、徒歩なんてとんでもない!
バイクタクシーが一番だと、さっそく呼んでくれた。
中川家のお兄ちゃんに似てるティーさんの後ろに乗せてもらって、
いざアンコールワットへ。
ビューン ノーヘル!
町を出て、アンコール遺跡に向かう。
少しずつ景色が変わってきて、天高くそびえる神々しいまでの樹々が
姿を見せ始めたころ。そこがアンコール遺跡への入り口だった。
このときまで知らなかったけれど、アンコールワットは
世界遺産のアンコール遺跡群のなかのひとつの寺院だけをさすという。
この場所は、9世紀から約600年間栄えたアンコール王国の首都跡で、
400平方kmのエリア全体に1000を越える石造建築が残されてる。
だからアンコールワット以外にも、見所はたっぷりある。
城砦都市跡のアンコールトムでは優しく微笑むバイヨンの四面像が見事だったし、
なかでもタ・プローム寺院の境内に足を踏み入れたときは、言葉が出なかった。
地に建つ石造りの頑丈そうな寺院を、ガジュマルの樹々はそれ以上の力で
浸食し、飲み込んでた。
人が作ったものと、自然の対立?もしかしたら共存?
森を壊して作ったであろう寺院を、今は樹々がその造形を崩壊させてる。
でもあるところでは、崩壊しつつある寺院を樹々が支えているのかもしれない。
とても神秘的な場所。
この樹々たちは、どんな景色をここで見続けてきたのかな、
あと100年もしたら、この場所は森に還るのかもしれない。
時間の流れが見えた気がした。
そうこう半日ほど観光をしてたんだけれど、
行った季節が11月、乾期に入ったばかりで、それはそれは暑くって。。。
汗まみれでまるでお風呂上がりみたいになってしまった。
広大なアンコール遺跡で、だんだん意識がもうろうとしてきて
だんだんどれも一緒に見えてくる病に冒され始めたから。
ハンモックのあるお店でハンバーガー食べて一休み、
疲れた体をコーラで癒した。

Story 3
答えはシャボン玉

アンコール遺跡の敷地内には、遺跡の間にたくさんの子どもたちがいた。
大きな木のつるでブランコしてたり、
「神様の池」にはだかんぼで宙返りして飛び込んでたり、
おままごとしてたり。
でも、一番多かったのは、物売りの子どもたち。
片言の、でも上手な日本語で、
「オネサン、のみもの?」
「さんこ、いちどーる!」
小さい子たちが、何かしら買ってほしいものを手に手に駆け寄ってくる。
何も持ってなくても、なんかちょうだいって付いてくる。
こういった光景は、発展途上国では日常的にあって、
そのたびにどうしたら一番いいのか考え続けてきた。
ある旅人は、何かやってくれたり、見せてくれた子にはお礼をする。
ある人は渡せる時や買ってあげられる時はお金を渡す。
ビタ一文渡さないよといって無視する人もいた。
ガイドブックには、「渡してしまうときりがないので渡さないこと」ってあった。
いろんな忠告や話が耳に入って来たけれど
それでもやっぱり私は迷いながら、コインやお菓子を渡したり
今日はごめんね、いらないのって言ったりしてた。
だから例のごとく、子どもたちに囲まれたとき、
うーんどうしようと思った。
そして、少し考えて、そうだ!
かばんに潜ませてたシャボン玉を取り出した
みんな、キョトン。
ニカって笑いながら、せーの、プーー!
みんなに同じだけ降り注ぐ、きらきらきらめくシャボン玉。
3秒ほど静かになって、
それからすごい騒ぎに。
キャーキャーワーワーーーィなになに?!
どんどん増える人だかり。
止まらない嬌声、飛び交う笑顔、みんな空高く手を上げる。
いい顔した天使たち。
その光景はとても明るくて、
今までお金やお菓子とか渡したときよりも、数倍うれしい顔をした
子どもたち。
大人たちも微笑みながら、優しく見守ってた。
「シャボン玉、はじめて見たんー?」って、みんなの顔に平等に
ぷわぷわ吹き続けた。
仕事も忘れて、シャボン玉を見上げる顔がほんとに可愛かった。
日が暮れるまで遊んで最後、その場所を離れるときに、作り方を教えてあげた。
石けんと水でね、あ、飲んじゃあかんよー! って。
旅をしていて、遺跡とかの観光地に行くことは時々あるけど、
そんな時、目が行くのは過去の遺物よりも、
今、そこで暮らしている人たちのこと。
訪れさせてもらった自分としては、
おぉすごいって目的のものだけ見て好奇心を満たすだけ満たして、
そこに暮らす人たちのことを視界に入れずに帰るなんて
できない。
だって、私はその国の過去を見に来たわけじゃなくて、
今を見るために旅をするから。
その国の今を一番ありのままに映すのは、そこに暮らす普通の人たちだって
思うから。
アンコールワットにいた子どもたちには、そこで物売りをしなきゃいけない
理由がある。
シャボン玉じゃおなかもふくれないし、何も跡には残らない。
でも、きっとあの時の笑顔はほんものだったし、
楽しかった時間は確かにそこにあったと思う。
悩んで悩んで、辿り着いたひとつの答えがシャボン玉という
秘密兵器。
世界がほんの少し、あったかくなる魔法の小道具。
これからもきっと色んな土地で、子どもたちに出会うと思う。
そのたび私は悩むだろうけど、
どうすれば少しでもこの国にありがとうを伝えられるか、
悩んだり考え続けることが、旅人としてできるせめてものことだと
思ってる。
そして、聞こえてくる噂や偏見なんかより、
シンプルに。
自分に出来ることがあるならするだけなんだって。
アンコールワットでのシャボン玉騒ぎは、
今まであれやこれや難しく考えすぎてたってことに、
気付かせてくれた、今も心の一部を照らしてくれる大切な出来事だった。

Story 4
忘れてはならないこと


カンボジアの町を歩いていると、気付くこと。
みなさんハンモック、お好きですね!
家の軒先や、お店にも。ハンモックでくつろぐ人をたくさん見かけた。
私も市場で空色のハンモックを6.5ドルで購入、
さっそく安宿の部屋の中に吊るして、ハンモック族に仲間入り。
今でもそのハンモックは、キャンプに行くときの必需品。
でも、ハンモックはカンボジア人にとって休憩の場所という意味だけじゃなく、
大雨が降ったときに、床下浸水から逃れるための大事な避難場所みたいな
役割もあるみたい。
バイクタクシーで田舎道を走ってとき、
雨に降られて民家で雨宿りさせてもらったときに、そんな光景を見た。
カンボジアでは朝になると、道ばたの屋台で山盛りのフランスパンを
売ってることも目新しかった。
1953年にフランスから独立したカンボジア、フランスパンは残った模様。
朝はパイナップルパンケーキにオムレツ、お昼は暑いしマンゴーシェイク。
晩ご飯は、ガイドさんに連れてもらった「肉が火山を登る鍋」
山形になった鉄製の鍋に、肉をジュっと焼き付けて、卵に付けて食べた。
おいしかったけど、うん。悪夢の序章。
その日の晩は、ひどすぎる嘔吐と腹痛に見舞われて
大変だった・・・
あと、カンボジアの歴史の上で、忘れてはいけないことがある。
1991年まで、この国は内戦状態だったこと。
そして1976年からの3年8ヶ月の間に、
この地で何が起きていたのかということ。
なぜ、町にはある一定の年齢の、おばちゃんおじちゃんの姿が
見られないのかということ。
この時期カンボジアは、極端な共産主義思想のポル・ポト政権下にあって、
本当に本当に
信じられないことだけど、赤土と稲の緑と空の青と雲の白が美しい
この国で、
総人口800万人のうち、200~300万人の人が、ころされたという。
カンボジアの人口ピラミッドという資料を見ると、
この時期を境目にした35才以上の人口が極端に少ない。
特に男の人の割合は、女の人の8割くらいしかいない。
ころされた理由は?
知識人(先生、お医者さん、芸術家など)だったから、
資本主義の思想を持ってたから、
最後には、眼鏡をかけてるだけ、はやりの歌を歌っただけでも
処刑されたという。
いろいろ本やネットで調べてみたら、心に刺さる情報があふれていて、
どこかの誰かが想像で作った、
悪趣味な映画のストーリーなんじゃないかって思いたくなった。
でもシェムリアップで行った、キリングフィールド(処刑所)と地雷博物館。
目の当たりにした遺骨と地雷の山。
今も残される地雷の被害といった目に見える傷跡と、
人々の心に残る、見えない傷跡として、あるんだということ。
このことは、遠い昔の話じゃなくって、
たった2、30年前に起きていたという事実。
幼かったころ、外国が遠い遠い存在だったころ。
戦争は昔話でしかないと思ってた。
幼くなくなってからも、テレビで見る戦争は、ちっとも現実味がなくて、
日本は、自分には全然関係のないことだと思ってた。
でも今は、違う。
いろんな国で起きている、さまざまな問題の背景には、
大国の思惑があるということを知ってる。
大国、つまり発展国は、今の地位を譲れはしまいと、さらなる発展をと、
国益を何よりも最優先する。
どの国も、平等にそれぞれが叩き合うことなく、国益を高めていければ
いいけれど、国の資源や今までの歴史がそれをどうしたって阻んでしまう。
そしていつだってしわよせを受けるのは、
国力の弱い国の、ふつうの人たち、子どもたち。
こんな大きな問題を前に、自分はどうしたらいいの、
何をしたらいいのと思って、自分の力のなさに打ちのめされそうになったことも
あったけど。
私は、リュックをしょったひとりの人として。
気負わず、あたりまえに、人として。
出かけた先で出会った人々と話したり笑ったりごはん食べたり、恋話したり。
困ったことがあれば助けてもらって、困っている人がいたら手助けして。
お互い受け入れて、友達になる。
そうしていたら、世界人口約73億人分の数人だけでも
「日本人ええやん!」って思ってもらえるかもしれない。
その人にとって、日本が少し近くなるかもしれない。
日本車とか、日本製の家電とか見たとき、今までよりも親近感を持ってもらえるかもしれない。
ほんの小さなことだけど。
少しずつでも、世界をハッピーなほうに動かせていくことができたなら、
いつの日か、ほんとの平和がくるのかもと信じて。
私はこれからも、旅をしていきたいと思ってる。
Story 4
旅の呼吸

高校生だったころ、受験生だったころ。
世界史が苦手で、全然覚えられなくて、テスト前とかいつも
半泣きで徹夜して勉強してた。
こんな紙に書かれた断片的な出来事や年代なんて
覚えられへんって。
でも世界史受験だったから、
「こうなったら覚えたとこ、いつか全部見に行く!」
自分にカツ入れて励まして、がんばってがんばった。
そしたら学年で一番になった。
やっぱり受験で覚えた知識なんて、
ほとんど残ってないけれど、あの時「全部見に行く!」と、
自分で見ないと分かるものも分からないって思った気持ちは
今に生きてる。
私が旅を思い立つのは、たいていいつも突然で、
ある日行きたい場所とかキーワードが頭のなかに降ってくる。
地図を拡大したり縮小したりしながら、どうすればそこに行けるか考えて、
だいたいのルートを決めたら。
ネットで格安航空券をすごい勢いで探して、さてと航空券を買ったら。
「あ、明日からやん!」ってなるくらいまで、なぜか放置。
1時間もかけずに、いるものリュックに詰め込んで、「いってきます!」
一度、カメラ忘れて取りに帰って、パスポート忘れたことに気付いて
また帰って、空港についてガイドブックがないことに気付いたときには
ほんと飽きれた!(もう今はそんなことしないけど)
いざ旅が始まって空港とか港についてから、
さてどうしたら町に出れるかなぁって調べ始めて、
困ったり迷ったりする癖もどうにも捨てられない。
飛行機の中でガイドブックとか見ればいいのに。
だから長い旅に出たときは、自分がどこの国に行くのかさえ知らないことも
多くなる。
カンボジアに行ったのも、単純に
「カンボジア、タイのすぐとなりやん。いってみよかな」
と思いついたからということもあって、
どんな国なのか、想像することもできない情報量でやってきた。
来月から旅に出るぞーって勢いづくのも楽しそうだとは思うのだけど。
私は日常にすんなり溶け込んだような旅の仕方がしっくりするみたい。
旅の仕方は、ほんと人それぞれ。
いろいろ調べてから行く旅は、きっとその知識をもとに物事をさらに深く、
広く見ることができるだろうし、
風まかせの旅には、まっさらな驚きがあったり、思いがけない出会いが楽しかったりする。
でもどんな形で旅しようとも、自分で見て、世界を感じるってことは
どんな優れた教科書や、テレビ番組で得る知識よりもずっと意味があると思う。
それは歴史とか文化とか、そういうことだけじゃなくって、
何気なくても、自分にとって価値のあるものはきっと自分でしか見つけられない。
どこかで感じた風、地平線まで続く星空、暗闇で見つけた民家のオレンジ色の明かり、
そして旅に出なきゃ会うはずもなかった人との出会いとか。
そういったものはこれから生きてく上で、
ひとりでがんばらなきゃいけない時とかに、
きっと力になってくれるって、心を支えてくれるって、私は思う。







