
Mongolia
後編 草原での日々
遊牧民と暮らした虹の草原モンゴル

Story 5
約束の日
朝10時、泊まっているゲストハウスの前に使いの者がジープに乗ってやってきた。
モンゴルに来るまでの列車の中で出会った、
エルベックさんに招待されたゲルに向けて出発。
迎えに来てくれたのは、英語達者なボールドさん。
少し車を走らせるとどんどん田舎になって、遊牧民のゲルがぽつぽつ見え始めた。
草原、空、ときどきゲル以外、何にもない場所が広がっていった。
それはそれはとても良い天気の日で、ゴトゴト眠りたくなってきたけれど、
ボールドさんはひたすらモンゴルと中国の関係についてや、旅の話を語り続けていた。
私はいったいこの人と2人でどこに向かってるんだろう。
さっき出会ったばかりのボールドさんを、完全には信用していなかった。
意識のどこかで、
「もしこの人が悪い人で、私このまま車で連れ去られて
どこかも分からない草原に置き去りにされたら・・・」という警戒心はあった。
知名度ゼロの土地で、旅先で、最終的に信じられるものは唯一自分の判断力、
人を見る目。
今回は、30時間を同じ列車の空間で過ごしたエルベックさんを
信頼できる人だと思ったから、そしてボールドさんの携帯で、
エルベックさんに確認もしたから(といってもモンゴル語の単語で)
信じて乗っかってみようと思った。
決めた後はもう、信じるしかない。自分と相手を。
そうこうしてたら、まずはエルベックさんのお母さんのゲルに到着。
電車の中で仲良くなったエルベックさんの息子と再会。
元気そうでよかった!
ゲルに入るとき、ようこその意味を込めて、茶碗に入った一杯のお酒を渡された。
受け取らないわけにもいかず、飲み切った。
それからまた車を走らせて、小さな町のレストランに着いた時には
お酒に弱い私は完全に酔いが回ってフラフラだった。
はじめボールドさんと2人だった円卓には、どこからかたくさんの人が集まってきて、
客人をもてなす歌を陽気に歌ってくれたりしたけれど。
「日本の歌、歌って!」とか言われたのだけれど。
すみません、ちょっともう無理ですとトイレに立って、出て来れなくなった。
しばらくするとトイレのドアがせわしなくノックされて、ドアを開いたら、
4人の男の子たちがワーーっとトイレに駆け込んできて、
みんなでそろってひとつの便器におしっこしてた。
あぁごめんね、せっぱつまってたのね。
とにかく席に戻って、「お酒、飲めません」て言うモンゴル語を、
まず第一に覚えなきゃと思いながら、
グワングワンする頭でモンゴル人のおっちゃんらの歌声を聞いていた。
Story 6
空と草原を馬でお散歩

モンゴル酒に呑まれてダウンした私を後ろに乗せたジープは、
まだ草原をひた走り、大きな川を越えて、ついにエルベックさんのゲルに到着。
「ほら、起きて!」
外に出ると大きな川が太陽の光を弾いてきらきらしているのが見えた。
そこには200頭ほどの馬がいて水浴びをしてる。
そして見渡す限りの草原と、右手左手にありあまる大空。
風が踊るように吹いていた。
そしてゲルの中から、エルベックさん登場。
モンゴル式の歓迎の儀式、絹の白い布、「ハタグ」を首にかけてくれて、
盃を ・・・なみなみお酒が入った盃!
盃を受けた人は、天と地と人に感謝してから、一気に飲み干すのが礼儀。
知っているけれども、世の中にはがんばってもできないことがある。
申し訳なかったけれど、私は受け取ったお酒をこっそりたっぷり
地に捧げておいた。
それから、馬に乗ってお散歩に。
エルベックさんの隣のゲルに住んでいる馬使いの14才の少年と、
そのお父さんに連れられて丘のてっぺんまで登った。
「デール」と呼ばれるモンゴルの民族衣装を着たお父さん。
帯にくくりつけていた革の入れ物から、単眼鏡を取り出して貸してくれた。
言葉が分からないから、お互い笑顔を交わすだけの静かで穏やかな時間。
草原を走る馬は、カポカポ足音を鳴らさないんだって気づいた。
周りを180度以上の空が包みこむ。
雲の切れ目から光が大地に差し込んで、虹も出ていた。
眼下に見える平地を流れゆくおだやかな川が、
草原の果てまで続いているようだった。
空と草原の間に私は立っていた。
空、草原、丘、川、馬、そしてそこに生きる逞しくも優しい笑顔の人たち。
そこにあったのは、本当にそれだけだった。
シンプルな世界の力強さと美しさに圧倒。
自然の雄大さに感動する私を乗せた馬が、
歩みに合わせるように何度も大きなおならをして
少し拍子抜けしたことも、
今となっては思い出のひとつ。
だんだん日が落ちて来て、そろそろゲルに入ろうかとなったとき。
ボールドさんが、「困っていることはない?
寒ければ毛布を、おなかがすけば食べ物を、さみしければ男を渡すから」
なんてことを言ってきてくれた。
なんですと!
「大丈夫です、間に合っています」と、
その夜は馬使いの家族のゲルに泊めてもらった。
よく働くお母さんと3才の女の子と一緒のゲル。
ゲルの中は朱色をベースに、モンゴル独特の絵柄で装飾されていて
なんとも色鮮やかな可愛い空間。
神棚にはダライラマの写真が飾ってあった。
真ん中の囲炉裡は、料理や、ストーブとして使用する。
木で出来た骨組みに、分厚いフェルトをぐるりと張って、
地面の上にまず家畜の糞などを敷きつめたその上に、絨毯を敷くことで
地面の冷たさを伝わりにくくしているという。
(1年ほど乾燥させた家畜の糞を使っているから、全然くさくないよ。)
ゲルの中央にある天窓からは煙突が出ていて、
夕暮れ時になるとゲルのてっぺんからいい匂のする煙が漂ってくる。
その様子はなんだか肉まんから湯気が出ているみたいだとも思った。
この日は夕方から雲が多くなってきて、
残念ながら星を見ることはできなかった。
Story 7
草原での挨拶回り

生まれて初めてゲルで目覚めた朝。
300メートルほど離れたお隣さんのゲルでの朝食。
ビスケットにウルム(乳脂肪を集めて作るクリームのようなもの)
をのせて食べた。白いバターみたいで、とてもおいしい。
そしてタンスの引き出しから出て来たものは、羊の肉。
タンスから出て来たことと、そのままナイフで切って冷たいまま
食べることに目がぱちくり!
でもそんな臭みもなくって、少し食べさせてもらった。
塩入りミルクティも、どんどんおかわりした。
あとはキムチ。これはパクパク食べた。
それから車に乗って、エルベックさんとボールドさんの会社に。
草原に立つプレハブ小屋みたいなところ、道路を作る会社だという。
そこで職場の人たちに紹介してもらって、お茶を出してもらった。
1人の有名なジャーナリストだと名乗るおじいちゃんモンゴル人も
なぜかそこにいて、いきなり手相を見てくれた。
「長生きするよ、あなたには守護神がついている」
え、ほんとかなぁ?疑いの眼差しに気づいたのか、
続けてこう言った。
「あなたは琵琶湖の近くで生まれたのでは?」
その一言で私はこの人を完全に信用することにした。
モンゴルの草原で出会った人が、まず「琵琶湖」を知っていることに
びっくり。
さらに、確かにその人の言う通り、
私は琵琶湖からそう遠くないところで生まれたから。
彼はジャーナリストではなく、占い師だったのではないかと思っている。
次はその足で、また知り合いの野菜を作っている人のゲルに立ち寄って、
でっかいきゅうりをもらったりもした。
おそらく、エルベックさんは会社のとても偉い人で、
このあたりの草原ではすごく顔の効く人なんだって
だんだん分かってきた。
夕方頃にまたもとのゲルに戻ってから、少し1人で草原をお散歩した。
寝っころがって、空を見ながら全身に重力を感じて、
モンゴルのどこなのかも分からない、
この場所に今、自分がいることの不思議な境遇を思ったりした。
ゲルに戻ると新しい顔ぶれ、双子ちゃん!
仲良く一緒に本を読んだりした。
もう、誰が誰の知り合いなのかさっぱり分からなかったけれど、
本当にたくさんの人と出会った楽しい一日だった。
Story 8
夜空に架かる白い虹

だんだん陽が傾いてきて、世界がオレンジ色に染まり始めていた。
川が金色の光を放って、馬たちは寝床へと大移動していた。
女の人が馬の乳搾りをしていたのを見て、お手伝いさせてもらった。
そこへやってきたボールドさん。
「さ、行こうか」
てっきり私はこの夜も、ここに泊まるのだと思ってた。
もうすぐ夜がやってくる。真っ暗な草原のいずこへ?
とにかく行くよ、荷物持って!
そう催促されて、バタバタあわただしくリュックを持って
さよならの挨拶もそこそこに車に乗り込んだ。
またボールドさんと2人。
ボールドさんに対しては、どうしてもまだ警戒心を解くことができていなかったし、
解かなくていいと思ってた。
日本にいるときは、いろいろ曖昧にしてたってそう身の危険はないけれど、
旅に出ている間はひとつの判断が大きな事故につながってしまう。
そしてそれは全部、自分の責任。
何でもにこにこYES!では通用しない、そもそもそれでは旅先での人間関係が作れない。
だから私は日本にいる時以上に思ったことを口にするし、
言葉の通じない国では、日本語ででも「おかしい!それ絶対違うと思う!」
とか言う。
時々けんかになるくらい。
でもけんかするくらいの人は、実際はほんとにいい人が多くって、
「ごめん、言い過ぎた。ほんまごめん」って仲直りして、
すごく仲良くなるのだけど。
だからこの時も、どんどん闇が迫ってくるモンゴルの草原を、
2人でジープでどこかへ、というシチュエーションがやっぱり不安で、
「私、さっきのゲルに帰りたい!どこにいくの?ね、大丈夫なの??」
強い口調で、あからさまに「私、あなたを警戒しています」オーラを出した。
「大丈夫、僕のゲルに向かってるよ。その前に母さんにちょっと会いに行く」
ここまできたらもう戻れないな、信じて前に進むしかない。
そう観念して、窓の外を流れる夕暮れの景色を見てた。
その景色は息をのむほどに美しかった。
「ちょっと車止めて!写真撮りたい!」
マイペースでいくことにした。
そのうちに、バガノールという小さな町の、ボールドさんのお母さんの家に着いた。
平屋のかわいい小さな家、そして庭にはゲルと牛たち。
お母さんは突然の来客に驚いてたようだったけれど、優しくほほえんでお茶を出してくれた。
お母さんの家を出た時は、もうすっかり夜だった。
それでも車はずんずん夜の道を走り抜け、草の海を駆け抜けて、夜の10時頃、
やっとボールドさんのゲルに到着。
標識なんて何もない、広大な草原の小さなゲルに辿り着けるという能力は
モンゴル人ならでは。
ゲルの中にはおばちゃんや子どもがいて、あぁそれならもう大丈夫だって
緊張感がするするほどけた。
そして、車中でも薄々気づいていたけれど、
空には・・・
月のない新月の、漆黒の夜空には。
宇宙が降り注いでくるかのような星空が広がっていた。
遮るものがなんにもない草原、右も左も後ろも前も当然上も!
無数の星が夜空に輝いていた。
天の川は、すでに「川」という表現を超越して、
草原から草原へ、夜空を架ける白い虹のようだった。
その白い虹のアーチの真下に私は立って、ジョンレノンのイマジンを聞いた。
ど真ん中だった。
完璧だった。
小さな夢がひとつ叶った瞬間だった。
こんな星空を見たことがなかった。
星空と言えば上にあるものだって思ってたけれど、
ほんとうは違ってた。
もしかしたら今までは、上しか見る余裕がなかったのかもしれないな。
新月をねらって草原に来たのは大正解。
星明かりだけの世界、宇宙に包まれて聞くイマジン。
くるくる回って幸せかみしめた。
ありがとう、ありがとう。
星たちがキラキラ笑ってた。
そんなところへゲルから聞こえてきたご忠告。
「おーーーーい!そんなとこに1人でいたら、オオカミが来るよ!
犬もデンジャラス!早くゲルに入りなさい」
慌ててゲルに入って幸せな気分のまま、朝日もぜったいに見ようって
気合いを入れて、眠りについた。
Story 9
生まれた太陽

夜明け前、寒さで目が覚めた。
外に出て、まだ星が残る空を見上げた。
朝露に靴下がぬれてとても冷たかったけれど、まだかまだかと
朝日を待った。
ゲルのそばにはたくさんのヤギが柵の中に集められていて、
メェメェ鳴いていた。
じんわり空が赤く色づき始めて、少しずつ太陽が頭を出した時には、
「あー、やっと生まれたっ!」って、朝の光の中で光合成。
見渡す限り、草の海と空。丘もあるけれどそれでも空は広い。
モンゴルは地球の丸さを肌で感じる。
朝ごはんは、パンとマカロニと乾燥ラム入りスープ。
ほんとおいしい。
はじめはムムッ!となっていた、ミルク臭にもすっかり慣れた。
それにしてもモンゴルの女の人は働き者!
私はありったけの服を着込んでもブルブルしてるのに、
これくらいの寒さは大丈夫よって笑って、料理や家畜の世話を
手際よくこなしていた。
草原で過ごした数日間は、夢のような現実だった。
モンゴルと言えば、星空、スーホーの白い馬、ゲル、遊牧民。
それくらいしか知らなかったし、
これほど多くの遊牧民の人たちに出会えるなんて、
ましてやゲルに泊めてもらうなんて
予想もしてなかった。
ボールドさんと、首都、ウランバートルに戻る途中の車の中で、
ずっと気になっていたことを聞いてみた。
お世話になりっぱなし、3食昼寝付き寝床付きだった草原での日々で、
私が払ったのは、ガソリンを入れる時に「私が払います!」って
言って支払った3万トゥグリク(約2000円)だけだった。
「なぜこんなにも良くしてくれたのですか?」
ずっと思ってた。
旅行者に接近して、仲良くなったと見せかけて最後にお金を巻き上げる。
荷物を盗んで消え去る。
ガイドブックにはその手の警告がたくさん書いてあるし、
旅人の間でもそんな噂はよく話されている。
実際にそういうことはあると思うし、
人を疑うのはよくないけれど、身を守るためにはある程度、仕方ない。
でも、ボールドさんは心底親切な人だったんだって、
最後の日になって確信していた。
ボールドさんは、ハンドルを握って
まっすぐ前を向いたまま、こう言った。
「あなたは学生で、1人で、夢があるという。
そして見た目も悪くないからね」
最後に口癖の「I don't know(知らないけどさ)」と付け加えた。
ボールドさんは何の見返りも求めずに、ただ日本からやってきた
1人の旅人に、自分の国を時間の限り見せようとしてくれた。
最初から最後まで、心からもてなしてくれていた。
長い時間をともに過ごす中で、そういえば私は自分の夢を一度伝えたんだった。
モンゴルで星を見るっていうひとかけらの夢だけじゃなくって、
もっと大きな夢。
なぜ旅をしているのか、ということ。
ちょっと不器用で、あんまり笑わないし、
なんだか変なこと言ったりもするけど、
彼に出会っていなかったら、私の目に映るモンゴルは
もっと違っていたと思う。
伝えきれないくらいの感謝の気持ちが込み上げてきた。
「バヤルルラー(モンゴル語で、ありがとう)、
親切にしてくれたこと、忘れません。
私、ちゃんと夢を叶えます。ほんまにほんまにありがとう。」
最後に駅で、少しだけ笑顔を見せて見送ってくれた。
ありがとう、さようなら。
Story 10
西へ

目的地は特に決めていなかったけれど、
なんとなく中国の西を目指したい気分だった。
ボールドさんが手配してくれた、中国行きのチケットを持って、
列車に乗り込んだ。
6席ずつぐらいの小部屋に区切られている指定席の列車、
自分の席の前にいた若い男の人が
にこりと笑顔で、よろしくって握手を求めてきた。
あ、どうもこちらこそよろしくって握手をして、
リュックを座席の下にゴソゴソと押し込んで、
顔を上げたら、彼の姿はもうなかった。
あれ?いなくなっちゃった。
ん?カバンが開いてる。
一瞬。
ほんの一瞬目を離した隙に、彼は私の財布とともに
消え去っていた。
握手したのに!笑ってたくせに!
どうしようどうしよう。
駅員さんも、警察も、言葉が通じない。
困り果てて、自分の情けなさや裏切られた感がこみあげて、
涙がポロポロ出てきた。
もう22才なんやし、人前で泣いたらあかん!
ってこらえようとしたけれど、
盗られたのは持ってたお金の一部だったから、
別に旅を続けることには大きな問題にはならないだろうって
思ったけれど、
さっきまでの草原での日々とのギャップに、
どうしたっても泣けてきた。
若い警察官が困った顔で、そっとハンカチを渡してくれた。
その時、「どーしたの、あなた涙でてるね」って、日本語が!
日本語が話せる中国人がいた。
ゆっくり訳を話して、落ち着いた。
お財布を取り返すことなんてできっこないのは分かってたし、
致命的なものは盗られてなかった。
大丈夫、すぐに割り切って、涙を止めた。
発車時刻になって、列車が駅のホームを離れるときに、
窓から身を乗り出して、ハンカチを貸してくれた警察官に
バイバイと手を振ったら、少しはにかんで頭を下げてくれた。
モンゴルの旅が終わって、列車は中国の西に向けて進んでいった。
旅の呼吸
年に4~5回移動するという遊牧民の暮らし、
日本とはまったく違う環境で暮らす人たち。
モンゴルの草原で過ごした日々は、もう
どれだけ願ってもお金出してもがんばっても、
二度と訪れることはできない場所。
国民の約3分の1が遊牧をして暮らしている国、それがモンゴル。
もちろんお風呂もトイレもない。
冬は想像を絶するくらい過酷な寒さになるだろうし、
大切な家畜をオオカミにやられてしまうことも
少なくないという。
でもそれがここに暮らす人にとっての日常、
家族を思う気持ちや、旅人をもてなす感情は、
日本人もモンゴル人も同じだった。
「遊牧民」というと、身近に感じられそうもない
非現実的な言葉に思えていたけれど、
どんな環境で暮らそうと、国籍が違おうと、
人は根本的にはやっぱり同じ。
同じ時を刻んで生きていた。
