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遊牧民と暮らした虹の草原モンゴル

Mongolia

前編 船でゆく

星空を探す片道切符

Story 1

星空を探す片道切符

大学3年生の夏。

下宿してた5畳ワンルームのせますぎる部屋のふとんの上で、

久しぶりにジョンレノンのイマジンを聞いてた。

歌詞をあらためてちゃんと読んで、あぁやっぱりいい曲やなぁって。

こんないい曲は、こんなとこで聞いてちゃもったいない、

きっとものすごい星空のしたで聞くべきなんじゃないかって。

すごく唐突だけど、

モンゴルに行って、イマジンを聞こうと思った。

 

でも、

携帯で航空券を探してみたけど、すごく高くって、あぁどうしようー。

このときは回転寿しのキッチン、カフェのキッチン、家庭教師と、

三つバイトを掛け持ちしてたけど。

それでも厳しいお値段で。

悩んで、ちっこい家のちっこいユニットバスのなかで

ぐるぐる、どうしたらモンゴルに行けるか、

頭の中に世界地図を広げて考えた。

 

そうだ、船!

 

中国まで船でいって、そこから多分電車で行けるはず。

それがきっと一番安い!

ってひらめいた。

 

旅立ちの日、神戸の港までお母さんに車で送ってもらった。

いつ帰ってくるの?

わからない、今回はちょっと長くなると思う。

そんな話をして、

船のデッキからお母さんの姿が見えなくなるまで手を振った。

携帯が鳴って、

「船だと別れの速度が遅いから、ちょっとさみしくなるね。

気をつけていってらっしゃい。」

お母さんからのメール。

こうして、片道切符の旅がはじまった。

まず目指すは未知なる大陸、船で中国に。

 

船には、たくさんの日本人の若者たちがいて、

バックパッカーもいるやろうなーって期待したけど、

ほとんどは研修や、ボランティア団体に所属している人たちだった。

でも1人で甲板に出て、海を埋め尽くしてる越前クラゲ見てたりするうちに、

いつのまにか何十人も知り合いができた。

「クラゲきもいねー」なんて言いながら。

 

でもびっくりなことに、一緒の船室だったのは、

目が大きくて、スキンヘッドで、むきむきの男の人だった。

・・・女の人と同室のはずじゃ。。。

「あぁ、俺の名前、男にも女にも取れるから。ベッド、上か下、どっちがいい?」

「あ、では上でお願いします。」

話を聞くと、彼はフランスの民営の軍隊に入りにいくという。

以前にもどこかの軍隊で働いていたという。

そんな彼との2人の船室。

でも何も心配することはなく、とても紳士な人だった。

毎回ごはんの時間になると、「ごはん!」って、

にこりともしない、まじめな顔で私の頭をつんつんして起こしてくれた。

 

50時間の船旅は、思ってた以上に楽しいことがたくさんあって、

ごはんもおいしい中華料理バイキングだったし、夜になると船員さんたちが

お琴を披露してくれたり、踊ってくれたり、何かしら出し物をしてくれた。

仲良くなった人たちと、卓球とか、カラオケとか。

星空の下の甲板に座って旅の話もしたりした。

結局、船には1人旅のバックパッカーは私だけだったけど、

中国の天津の港に着いたときは、たくさんの人たちとの別れが名残惜しくって、

いろんな人たちと写真を撮った。

北京ダック500円

Story 2

北京ダック500円

船が港に着く少し前、船の中でも特に仲良くなったグループに

「予定決まってないなら一緒においでよー」

って誘ってもらった。

日本に留学している中国人の女の子、遥と、その友達の2人の日本人。

遥の北京の実家への帰省に、友達も旅行がてら一緒に来たのだという。

そこに私も仲間入り、飛び入り参加することに。

そのうちの一人、なおちゃんは偶然にも大学の後輩!

港について、迎えにきてた遥のお父さんに

「ありゃ、1人増えたんか?」なんて笑顔で迎えてもらって

車で北京に向かった。

モンゴルに行くには、船が到着する天津から

まずは北京に移動しなきゃいけないけど、

どうやって行ったらいいのか決めてなかったから、すごく助かった。

 

初めての中国大陸に足を踏み入れた夜。

周りには出会ったばかりの人たち。

北京の豪華なレストランに連れてもらった。山盛りのごちそう!

「ここはなー、北京やし北京ダック安いねん!いっぱい食べやー!」

船で意気投合した中国人の女の子、遥の口癖は、

「うち大阪のおばちゃんていわれるねんー!中国人やっちゅうねん」

強烈におもしろい女の子。

「こないだ北朝鮮旅行してきたわ。次はイラクやな」って。

ブータン行ったときに、タバコ持ち込みすぎて高い罰金払わされたとも言ってた。

彼女もまた、バックパッカーだった。

 

3日ほど一緒に過ごして、行く予定もなかった万里の長城とか、

天安門広場とか、屋台街とか、いろんなとこに連れてってもらった。

手に入れるのが難しいと聞いてた、北京からモンゴルに行く電車のチケットも、

簡単に手に入れてくれた。

 

4人での最後の夜は、朝の4時まで別れを惜しんで話した。

「今日の夜、寝て、次の朝起きたら行ってしまうんやぁ」

「でも大阪でまた会えるよ!」

電車の駅まで見送りに来てくれたときは、

なおちゃん、海外慣れてないのに、言葉わからないのに。

駅の露店でお菓子を自分で買って、食べてねって渡してくれたときは、

別れなんて慣れてるはずなのに、たくさん涙が出た。

急な途中参加の私を受け入れてくれた優しさとか、

いろんな偶然で出会った人に囲まれてるあたたかさとか、

うれしくて。

みんなで泣いた。

遥が最後に、「あんたー!旅ははじまったとこやで!楽しんで、良い旅を!」

その声に背中を押されて電車に乗り込んだ。

見えなくなるまでずっとバイバイして、自分の席についた。

北京発、ウランバートル経由、モスクワ着のシベリア鉄道が走り始めて、

ここからほんとにほんとのモンゴルに向けた旅が始まった。

シベリア鉄道でモンゴルへ

Story 3

シベリア鉄道でモンゴルへ

えーと、20番の席はどこかな、

コンパートメントを覗き込んで席を探す。

30時間の中国からモンゴルに向けた列車の旅、二段ベッドが二つ並んだ4人部屋。

日本人そっくりのおっちゃんと、モンゴル相撲っぽいお父さん、エルベックさんと、

その子どもの4人部屋。

どうもどうも、よろしくねって名前を言ったあと。

エルベックさんが、「don't want cry~~!」って即興で歌ってくれた。

見てたのね。もう泣かないよ。

それからしばらく二段ベッドの上段で、3才のかわいい男の子と

剣のおもちゃで遊んだりした。

モンゴルの人は、なんだか素朴で、ポッとあたたかい心を持ってる感じ。

 

私が持ってた「指差し会話帳 モンゴル編」を駆使して、

頭をつき合わせて会話してみたところ、

男の子が病気だったから中国の病院に行っていて、

その帰りだということがわかった。

エルベックさんが息子に注ぐあたたかい眼差しとか、

大きな手で包み込んでるところとか、

その男の子への深い愛情が伝わってきて、見ているだけで幸せな気分になった。

エルベックさん、最新のビデオカメラも持ってて、撮影してくれた。

もう1人の乗客、日本人そっくりのおっちゃんも、口数は少ないものの

とても穏やかな目をしてその様子を見てくれていた。

 

そして、列車が走り出してしばらくして、魔法瓶に入った飲み物をわけてくれた。

ありがとう!

っっ なにこれっ!?

あぁどうしよう飲めない

いやでも飲もう。

 

ミルクティ。塩入り、ミルクティ。

きびしい、と思ったけど、ここは発想の転換。

ミルクスープだと思うことにした。

そしたら大丈夫になった。

あ、おかわりはいらないんですよ。なんていいながら、

なんとか飲み干した。

 

モンゴルの代表的な飲み物、モンゴル岩塩入ミルクティ、「スーテーツァイ」との

初めての出会い。

遊牧民のビタミンの補給源なんだとか。

本当に、朝も昼も晩も、みんなよく飲んでた。

そのうちに私も慣れてきて、おかわりするくらいになった。

 

そのほかにも、肉まんをみんなで食べたり、子どもと折り紙したり、

ちょっとファンが近すぎて風が怖いけど、十分快適な寝台ベッドでぐっすり眠ったり。

穏やかな空気の小部屋を乗せた列車はずんずん町を抜けて、ゴビ砂漠にさしかかり、

地平線に沈む大きな夕日を見送ったりしてるうちに。

大きなゴトン!という音とともに、国境についた。

国境の町では、中国とモンゴルで線路の規格が違うから、

全部の車輪を交換しなくちゃいけないとのこと。

2時間の停車。もう夜中だったから、眠くて眠くて。

ふらふらで列車を一旦おりて、ぼーぉっとしたまま

国境を越える手続きを受けに駅に。

そしたらものすごく簡単な手続きでいつのまにかモンゴルに入ってた。

 

朝になって、もう少しでモンゴルの首都、ウランバートルに着くなぁ

と、窓の外をぼんやり見ていたら。

お父さんが少しの英語を駆使して、「うちのゲルにきませんか」

と誘ってくれた。

馬が300頭いるんですよ、って笑顔で胸はって、連絡先を渡してくれた。

 

そうこうしているうちに、ついにウランバートルの駅に列車が着いた。

神戸から約90時間。金額にして26,000円。

そうだ、星空の答えを探しにここまできたんだ。

イマジンを聞く最高の場所を探しにきたんだ。

ついにきた。

星空のありかを示す地図も情報も持ってなかったし、

なーんにもどこに行ったらいいのかも分からなかったけど、

答えはきっとここにある気がした。

新しい土地に降り立つと、自然と笑顔がいっぱい出てくる。

 

とりあえず町に向かおうとタクシーを探していたら、

同室だった日本人そっくりのモンゴル人のおっちゃんに

一緒に乗りましょうと声をかけてもらった。

彼が話す少しの英語で、彼の奥さんが日本に留学していたことを知った。

「良かったらまた、町を案内しますよ」と。

 

タクシーが駅を発つとき、

エルベックさんと男の子にいっぱいありがとうを伝えて、

「電話するんだよ」って言ってもらって、バイバイした。

 

ウランバートで待ち合わせ

Story 4

ウランバートルで待ち合わせ

朝、寒くて毛布の中でブルブルして目が覚めた。

モンゴル一泊目は、ナサンゲストハウスというところ。

大部屋に大小のベッドが7つくらい適当に並べてある、

いわゆるドミトリー。1泊4ドル。

隣のベッド見たら、ベルギー人のカップルがパンツ一枚で寝ていて、

こんなに寒いのに、信じがたいと思った。

 

9月のモンゴルがこんなに寒いって知らなかったなぁ、

持って来た衣類が少なすぎたことに気づいた。

早朝の町を歩いていたら、

サンダルを履いたはだしの足が真っ白に凍えてきたから、

何よりも今必要なのは靴下だって。

ウランバートル靴下探しの旅が始まった。

 

持ってる地図をちらちら見ながら、でも私は極度の方向音痴のため

(ヨーロッパとかだと、迷った末に気付いたら違う国に入ってたりするくらい!)

どこにも辿り着けず、とりあえず歩いて歩いて、

蓋が開きっぱなしのマンホールに落ちそうになったりしながらも、

なんとかスーパーを見つけてやっと靴下を手に入れた。

ザハと呼ばれる市場にも行って、900円のフリースも手に入れた。

 

ウランバートルの町は、日本人そっくりの顔をした人たちが大勢いて、

異国にいるのは分かっているけど、言葉も通じないけど、

なんだか安心できる雰囲気だった。

町は思っていた以上に都会で、おしゃれなカフェやベーカリーもある。

でもその影で、日本でも一時報道がされていた、

マンホールに暮らすマンホールチルドレンの問題。

今はほとんどの子どもたちは保護されたというけれど、

私がモンゴルに行った2005年には、まだ「蓋の開いたマンホール」は至る所で

目にした。

行き場を失ってしまった子どもたちや、

ウランバートルに移り住んだけれど、住むところがない遊牧民の人たちが、

暖房用の温水が通るマンホールで、

冬には-30度にもなる、厳しすぎる寒さをしのいで暮らしていると言われていた。

 

1990年に社会主義から、民主化したモンゴル。

国有企業を民営化したりといった、市場経済への移行は、

大きな混乱を招いて、その結果、国民の間で貧富の差が拡大してしまった。

でも、市場経済を導入した後、日本が積極的に経済に協力、援助したことから

関係が深くなったことも事実。

だからなのか、モンゴル人は日本人に対してとても友好的な感情を持ってくれている。

私が日本人だと知ると、みんな口々に日本で活躍するモンゴル人のお相撲さんの名前を口にする。

 

そしてある日、ウランバートルの町で待ち合わせ。

電車で同室だったおっちゃんと、日本に留学していたというモンゴル人の奥さんと待ち合わせ。

日本語が話せるとってもかわいい奥さん。

とてもラブラブの夫婦だった。

すてきなレストランに連れて行ってくれて、

チキンごはんとミルクスープ入り餃子を、もう食べれないってまで

食べさせてくれた。

近くにある、ガンダン寺院(チベット寺院)にも連れて行ってくれた。

 

「奥さんが3年間日本に行ってたとき、私はさみしくてさみしくて

痩せこけてしまいました」と、顔芸をするおっちゃん。

「この人がね、あなたがウランバートルに着いたときに、顔がひきつっていたから

心配になったみたいでね」と奥さん。

私、ひきつってたかなぁー?

いろんな話をして、いっぱい笑った。

最後は、ちょっとドライブして町の外れの高台に、

夜景まで見に連れてくれたりもした。

星空に天の川がかかってるのが見えた。

「あなた1人で大丈夫?こわくなぁい?」って気づかってくれる

優しい優しい人たちだった。

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